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水からの伝言


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by emoto-hado
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イレナ・パンタエヴァさん

2008年8月8日(金)
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故郷のバイカルに戻って喜びの舞を踊るイリナ・パンタエヴァさん

2007年の9月12日、私はニューヨーク市10番街で行われた、エドガワケーシー、ニューヨーク支部の主催のセミナーで、初めてイリナ・パンタエヴァさんというモデルさんと会いました。彼女は「水は答えを知っている」を読んで感動し、事前に連絡をくれた上で、何か相談があるということで、セミナーに参加し翌日の午後再び会う約束となっていました。
しかし、ご存知のように私はその夜に発病し、急遽帰国せねば成らず、彼女との翌日のミーティングもキャンセルせざるを得ないことになりました。

それから10ヶ月経った8月3日、私たちはバイカル湖で行われた水に愛と感謝を捧げるセレモニーで、皆さんの指揮を取らせてもらって、昨日の日記に報告したような、素晴らしい成果を上げる結果を得ることができました。一体全体この間、二人の間には何が有ったと言うのでしょう。シンクロ二シティー現象の良い例として、この間を振り返ってみましょう。

9月15日に日本に帰って即入院した結果、私の左足指は壊疽に罹ってしまって、その部分の切断手術が10月25日に予定されました。私はその事を、ブログで発表した所、全世界から私に対しての祈りの波動が送られてきたようで、私の足指はかなり驚異的なペースで回復してきたのです。そして手術予定日の1日前に私の主治医は手術の中止に同意してくれました。大変奇跡的なことだと先生方も驚いておられました。

11月6日に退院した私はその後2ヶ月ほど養生をした後1月からまた精力的に活動を始めました。そして4月には、昨年9月にキャンセルしてしまったロシアの2都市、モスクワとサンクトペテルブルグ市を訪れました。
その二つの町での新たなる人との出会いから、今回のバイカル湖におけるセレモニーの構想が持ち上がり、実践されたのです。
モスクワではドキュメンタリー映画「Water」の製作者サイーダさん、サンクトペテルブルグでは、GDV機械装置の開発者コンスタンチン・コロトコフ博士です。このお二人は「Water」に博士が登場をしていた関係で、既に旧知の仲でした。そして私も「Water」に登場していましたから3人のチームが出来上がったのです。
最初は8月1日に予定されていた日食におけるバイカル湖の水のエネルギー変化の測定をロシア側は考えていました。そして私が加わり、例年7月25日に行われている世界の水に愛感謝を捧げるプロジェクトを、今年はバイカル湖でやろうという提案をし、8月1日・日食観測、8月3日・バイカル湖での愛感謝祭が決まったのです。

それから私はバイカル湖の事をグーグルで調べ始めました。そしてすぐにバイカル湖の東岸にあるロシア連邦のうちの一つブリヤート共和国というテーマに目が行きました。そこに住むブリヤート人と日本人が殆ど同じDNAを持つ事が最近の調査で分かったと書いてあったからです。分りやすく言えば、同じようにお尻に青痣が子供の頃にある民族だと言う事です。
で、私は興味を感じて更に調べてみた所、その共和国の首都はウラン・ウデと言う所であることが分り、更にその地名をウイキペディアで調べた所、「ウラン・ウデ出身の著名人」の項の中にただ一人名前が挙がっており、その名前が「イリナ・パンタエヴァ」とどこかで見た名前があったのです。
そしてその説明は次のようにされていました。
イリナ・パンタエヴァ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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イリナ・パンタエヴァ (Irina Pantaeva,1972年10月12日 - )は、ロシアのファッションモデル。ブリヤート自治共和国ウラン・ウデ出身。身長180センチ。
名前はロシア風だが、生粋のモンゴル系のブリヤート人であるため、顔立ちは、東アジアの中国・朝鮮半島・日本・モンゴルの各地域で親しみを持たれやすい。
1980年代後半、ラトビア人カメラマンのローランド・レヴィンに見いだされるが、ソ連崩壊のまっただ中で連絡がつかなくなり、イリナは自力でニューヨークへ移り、成功した。ヴィヴィアン・タム、アナ・スイなど、アジア系デザイナーに愛される。
成功してから、連絡のつかなくなっていたローランドと偶然再会し、交際。現在、二人は結婚し、子供が二人いる。
1998年、自分の半生を書いた自伝「シベリアン ドリーム」(講談社)を発表した。


これはもう偶然とは思えません。私は直ぐに彼女に連絡して一緒にセレモニーに参加しませんかとお誘いした所「喜んで!」と馳せ参じてくれたのです。
彼女が一緒にいてくれて、色々な事が分り、現地の人たちの心を掴む事が着ました。また昔からバイカル湖を守ってきてくれた精霊たちも本当に心を開いて喜んでくれたようです。そうでなければ、あれだけ素晴らしいダブルレインボーが現われるはずは有りません。
コロトコフ博士によるDGV測定の結果もとても分りやすい科学的なデータが取れました。いずれそれは先生から学術的レポートとして発表されると思いますから、その時期が来たら、皆様にお伝えしたいと思います。全てのポジティブな出会いに感謝です。
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by emoto-hado | 2008-08-08 17:37 | 旅日記
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